Dave Peckというジャズ・ピアニストが気になる事

Dave Peck, Reade Whitwell, Denney Go




最近、Dave Peckというジャズ・ピアニストが
私は気に成っています。



ジャズに詳しい知り合いによると、
この人はすでに何枚かアルバムを出しているのですが、
日本のレコード会社からはCDを発売してないらしく、
輸入版を見つけるしかないそうです。



叙情的でセンチメンタルな部分と、
音の羅列が変化自在にあっちこっちに走っていくような部分が、
他のジャズ・ピアニストのキース・ジャレットみたいな印象です。



キース・ジャレットのセンチな部分は、
もっと生き苦しくてやってらんない感じが私はするし、
変化自在に音が続いていく部分はハイテンションで、
「この人いっちゃってるな」って感じです。


Dave Peckはもう少し常識人っぽい感じで、
私にとっては丁度バランスが良く感じられました。



で、まあ来日の予定とかもしかしてあったりしないかな、
と思ってネット調べたら公式サイト(たぶん)がありました。
スケジュールのページは特に何も書いてないみたいですが……。



www.davepeckmusic.com/
http://www.davepeckmusic.com/



あと「all about Jazz」というサイトに紹介があったので、
触りの部分だけ訳してみました。
もちろん自信無し。
あと、ところどころ文字化けしていて、
いくつか文字コードを変えてみたんだけど直りませんでした。
なんなんだろう。




all about Jazz 
http://www.allaboutjazz.com/iviews/dpeck.htm


インタビュー「デイブ・ペック:もう一つの表情」


By Jason West



“僕は子供の頃、手に入る限りのジョビンの曲を研究したり、教わったりするのに、ずいぶん多くの時間を使ってましたね。


 彼の、メロディーとか和声、それから不思議なフレージングなどで組み立てたすごくきれいな建築物が、僕は本当に、もう本当に大好きだったんですよ。


 ジョビンには大きく影響を受けました。”




 シアトルに住むピアニスト、Dave Peckは、この20年間、Chuck Deardorf (アコースティック・ベース) とDean Hodges (ドラム) とのトリオで、ずっと一緒に演奏してきた。


そして、こういう時間の積み重ねだけがもたらす、仲の良い感じや、音楽家としての精神を、彼は育てることができた。


Jazz cats(ジャズ・マニアみたいな意味でしょうか?)はこれを「payinA?A?A?A’(文字化け) dues」と呼んでいる。そして、Dave Peckは彼の払うべき分を確かに支払った。


この支払い分の中には、現在も進行中の慢性疲労症候群CFS)との戦いも含まれている。この病気は、彼の仲間であるジャズ・ピアニストのキース・ジャレットKeith Jarrett)とも共有しているものだ。



(続く)


おお、びっくり。
この人は慢性疲労症候群を患っていたのか。
キース・ジャレットの名前がちらっと見えたから、
影響を受けたのかなとか思って訳してみたら、
こんなつながりでキース・ジャレットの名前が出てくるとは。



上に訳したDave Peckのインタビューの冒頭で、
「ボサノバの法王」ことアントニオ・カルロス・ジョビン
名前が出てきたので、驚きました。
どんな風に影響を受けたのかな。



Dave Peckはジョビンの音楽の事を、
「the beautiful structure」と表現していますが、
きっと、ジョビンが学生時代は建築家の学生だったことを
踏まえて言ってるんじゃないかな、と私は思って
にやりとしてしまいました。



暇を見て、上の記事の訳をもうちょっと続けて見たいと思います。
(とかいって、この頃すでに言いっぱなし状態になってますが)




【おまけ】


慢性疲労症候群というのは,病名聞いたことは有るけど
どんなものかちょっと調べてみました。
そしたら次のサイトにキース・ジャレットへの
インタビューがありました。
すごく率直に語ってます。
というか、不安な気持ちとか、無気力な日々の生活とか、
率直過ぎて読んでるほうも気が重くなってくるぐらいです。



Co-Cure-Japan
慢性疲労症候群とその関連疾患に関する情報提供
http://www.co-cure.org/jp/


というサイトより、次のページ:


闘いはまだ続く
キース・ジャレットが初めて語る闘病生活
http://www.co-cure.org/jp/cfsfmn/F-1.htm



友達が『何か手伝えないかなあ。洗車でも何でも。』と言うから、『ああ、そうだな。じゃあ洗車を! ;頼むよ』って言ったよ。

それで、彼が車を洗ってくれるのを椅子に座って眺めてた。

そうやって一日を過ごしてたよ」

それから過去の自分のレコードを聴きなおして、
こんな風に言う所はちょっと泣けます。



彼は悲しそうに笑いながら語る。


「自分の演奏のイヤな所が耳につく。


今になって自分のアルバムを聞くと、気に入らない所が次々聞こえてくる。


それで、思ったんだ。


『ああ、やり直すチャンスがどうしても欲しい』ってね。

ああ、天才であると言う事は、なんてつらいのでしょう……。




復帰したとしても、50歳を超えて、自分のピークはすでに
過ぎてる、なんて、まあ事実だからしょうがないけど……。