『陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)』

……そんなことを考えてるうちに、いつの間にか
机の上の本が




陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)

陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)




に変わっている!
ねずみ先生、すいません。
私の勉強に対する集中力はこれ以上もちません……。



この京極堂シリーズの今のところの最新刊は
2003年8月に出版されていたのですが、
時間が掛かりそうなので私は今まで手をつけていませんでした。



後ろの参考文献をチラッと見たところ、どうやら今回は
哲学者のハイデッガーがモチーフになっているようです。
この前古本屋でハイデッガーさんの「存在と時間」という本を
立ち読みして、「です・ます」調で翻訳されている! と
衝撃を受けたばっかりなので、私にはいっそう興味深いです。
(どうでもいい点ですが……)



最初の方を読んだところ、「ここにあることが生だ」というような
議論が登場人物の間であります。
私は、ハイデガーさんの考えはまったく知りませんが、
存在と時間』という本のタイトルからして、この人は
時間軸で存在とは何かを考えた人なのかと思ってました。
なので、『陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)』という本で、
「ここ」という空間について議論されてるのが
ちょっと私は意外に感じました。



ハイデガーさんという哲学者の解説書でも読んでみようかなー。
どうやら、ハイデガーさんの考えが、この推理小説
謎を解くヒントになってるようなので。
まあ、どうせ理解できなくて時間の無駄になる可能性大ですが。



とはいえ、今まで、フロイト精神分析などがテーマ(の一部)に
使われてたこともあるし
(確か『塗仏の宴』←『狂骨の夢』だったかもしんない……)、
京極夏彦という作家の守備範囲の広さには、本当に私はびっくりします。



昔『塗仏の宴』(←『絡新婦の理』だったかもしんない)
を読んだ時の私の理解では、
フロイトの学説を宗教的に信奉してる登場人物の誤りを指摘しつつ、
フロイトその者の限界もを指摘する、というような
かなりアクロバティックな謎解きシーンがあったと記憶しています。
事件を解決する役割の京極堂というキャラクターは、
登場人物のこり固まった妄信を解くために(=憑き物落とし)、
わざわざ、本当の学説の理解はこうだからあなたの理解は間違ってる、
さらに、その学説はここに限界があるので、
正しい理解をしたとしても完璧ではない、
というように二重の解説をしてくれるんです。



私は哲学とか心理学はよく知らないので、その解説は適当に
読み流してしまってましたが、ずいぶん高度なことをやるな、
という点には感心しました。



で、今回の『陰摩羅鬼の瑕』でも、ハイデガーの思想に似た
思想を持つ登場人物が出てくるのですが、同時に
本当のハイデガーの思想とは何かがずれている、というような
セリフが出てきます。
きっと今回も、ハイデガーさんの思想にかぶれてる人に対して、
「あなたのハイデガー理解のここは間違ってる」という指摘を行いつつ、
同時に「でもハイデガーの考えには、ここに限界がある」
という離れ技をやってくれるんじゃないかな、と私は期待してます。
たぶん、あらゆる行き過ぎた依存心や妄信が、「妖怪」なんでしょう。
そんな、結局何を信じれば良いんだろう、
と途方に暮れさせられる読後感が、私は結構好きです。



そんな感じで、今回は京極道さんの憑き物落としの技を
事前に予測するべく、ちょっとハイデガーの解説本でも読んでみようと
思ってるうちに、そろそろ忘年会に出掛けけねば。