夏への扉を開いた人?

ところで、この『上野千鶴子が文学を社会学する』という
本を読み返してみて、「あとがき」の最後の一文が私は気になりました。



その最後の一文で上野千鶴子さんは、キンヤ・ツルタ氏
(日本文学研究者の故・鶴田欣也さん。カナダ国籍)
の霊前に本書を捧げたい、と書いたあとで、
「二〇〇〇年夏の終わりに」と締めくくっています。



この「夏の終わりに」というのは、本書の
「うたの悼み――『齋藤愼爾全句集』に寄せて」
という章で解説を書かれている、
齋藤愼爾さんの句集『夏への扉』と関係した、
何かしらのダブルミーニングなんじゃないかな、
と私は思いました。



夏への扉』という句集のタイトルは、
ロバート・A・ハインラインさんの同名のSF小説から
採られたものです。



夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))



そして、齋藤愼爾さんは1979年に自分の最初の句集を
出版するに当たって、このタイトルを採用しました。



本書の217ページで、上野千鶴子さんは、その句集名に込められた意味を、

(前略)

およそすべての詩人のひそかな望みは、いつかは言葉を発せずに済むようになることであり、沈黙へのおそれを持たない表現など、表現の名に値しないからだ。だが、相澤(注:詩人の相澤啓三さんのこと)が予言したようには、彼は俳句の世界から「かけ去る」ことをしなかった。ということはつまり、かれが『夏への扉』をついに開けなかったことを意味する。


(中略)


その扉が自分の前では閉ざされていることを誰よりもよく知っていたのは、彼自身だった。あるいは『夏への扉』の前で、その扉を開けることをしないというのもまた、彼自身の選択であった。


(後略)


と説明されています。



また、その後で218ページにこうもあります。


かれ自身、友人の新聞記者近藤紘一の死にことよせて「夏への扉をひらき煉獄(れんごく)の秋を迎えずして逝去した」と表現する。彼は畏友と自分を対比しながら、ついに夏を迎えることのない自分自身を控えめに告白する。そして、最初から終わりのない凋落(ちょうらく)の秋にあることを、「煉獄」と呼ぶ。

たぶん、夭折(ようせつ)したり、筆を折って
句作を止めたりすることを、ここでは
夏への扉を『ひらく』」とか、「夏を迎える」と
ここでは表現されているのではないか、
と私は考えました。



そして一方、上野千鶴子さん自身は1975年ぐらいまで、
俳句を作っていたとも述懐されています。
そして、俳人を廃業して、社会に出た、という風に
本書の212ページには書いてありました。



そう見てくると、強引なこじつけに過ぎないかも知れませんが、
上野千鶴子さんが文学をテーマにした本書の最後に記した
「夏の終わりに」という締めの言葉は、文字通りの意味以外に、
上野千鶴子さんご自身は俳句作りの筆を絶って、
世の中に果敢に発言していく社会学者の道を選んだ、
という自分の人生を振り返った言葉なんじゃないかな、
と私は考えました。



その夏も、もう終わり、これから秋が始まる、
という意味も込められてるのかな、とも私は思いました。
上野千鶴子さんは現在、老人介護のフィールドワークや
 文学研究などをされているようです。)




(おまけ)

本書で紹介されていた、齋藤愼爾さんの句で
私がおもしろいと思ったもの。



日向ぼこしてゐて人生に出遅れし


気がつけば雁のしんがりについて蹤(つ)いてゐし


さまざまな骨の音する桜かな