「AがBと自慰をする。」@アイルケ

ricamo2006-01-22




日経新聞の朝刊に、渡辺淳一さんによる小説
愛の流刑地』が連載されています。
この連載小説は今月一杯まで続く予定です。



【あらすじ】
小説家がセックスしながら相手の女性の首を絞めて殺して捕まった。
判決は懲役8年。
でも主人公は相手の女性がセックスの最中に
「殺して」と言ったから殺したのであって、
この崇高な愛の行為を犯罪とする法はおかしいと考えている。
そして殺した相手の女性も、自分の考えは正しいと
口に出して言ってはいないが、
あたかも言ってくれているように見える、
……と主人公は夢や妄想の中で感じた。





この小説の本日掲載分の冒頭の一文について、私は気になりました。
主人公が拘置所の独房で、殺した相手の冬香さんとの性的妄想
(その女性が雪女になってやってきてくれる)
にふけった次の朝のシーンです。

(注:懲役8年の判決が下された日から)
一日経ち、雪女となった冬香と自慰をして、菊治はいくらか落着いた。


私は自慰というのは自分で自分に対してする行為だと
今まで思っていました。
ですので、ここは「雪女となった冬香自慰をして」
渡辺淳一さん書くべきだと私は思いました。




そもそも、「○○(主体)が●●(他人)と自慰をする。」
という文は正しい日本語なのでしょうか?
念の為「広辞苑」という辞典をひいてみたところ、次のように有りました。


じい【自慰】


(1)自らなぐさめること。


(2)手淫(しゅいん)。

他人にしてもらうのは自慰ではないので、
「他人と自慰をする」というのは、
自慰の見せ合いっこをするという意味だろうか。



しかし、(2)の「手淫」の意味でしたら、
他人にやってもらう、いわゆる「手コキ」プレイと考えれば
「他人と自慰をする」の文でも良いのではないか?
そう思って私がもう一度「広辞苑」で調べてみました。


しゅいん【手淫


手などによって自分で性的快感を得る行為。自慰。自涜。

この説明によりますと、手淫というのもあくまで
自分の手などでするものであって、
他人にしてもらう行為ではないようです。
つまり、相手にしてもらう「手コキ」は「手淫」ではない。



では、この小説の主人公の菊治さんは、
妄想の中で女性と自慰の見せ合いっこをしていたのでしょうか?



これは私の解釈ですが、主人公の性的趣向からして、
自慰の見せ合いプレイでは満足できないだろうから、
インターコースを伴うセックスを妄想の中でしたのだと私は思います。
その雪女コスプレプレイの妄想で、主人公の菊治さんは
自慰をしたのだと私は考えます。



つまり、「雪女となった冬香と自慰をして」という箇所では、
「雪女となった冬香と(セックスする情景を想像しながら)
 自慰をして」という文の一部分を、省略する技法が駆使されているのだと
私は考えます。



そうしますと、「雪女となった冬香と」という修飾節は、
「自慰をして」に係るのではなく、
省略された「セックスする」(とかそんな意味の言葉)
に係っているのだと私は考えます。



この私の解釈では、主人公の菊治さんが「雪女となった冬香と(セックスする」
のは主人公の想像の世界の描写です。



その一方、菊治さんが「情景を想像しながら)自慰をし」たのは
客観的な小説内の事実の描写です。



そのように考えますと、この小説では、
主人公の想像の世界の描写と、
三人称の客観的な描写を意図的に混合するという
高度な小説技術が駆使されているのだ、と私は考えました。




私はさらに考えを進めて、なぜこの小説ではこのような
主人公の想像の世界の描写と、三人称の客観的な描写を
文章内で意図的に混合するというテクニックが
他の部分でも多用されているのか、ということを考えました。
私はこの小説はあまり熱心には読んでいないので、
根拠となるデータには不足していますので、あくまでも仮説です。



【結論】
この小説の主人公がどうしようもない人だということを、ごまかすため。