「解離性同一性障碍」@『陰摩羅鬼の瑕』

私が読んだこの推理小説に、次のような会話のシーンが有りました。


陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)

陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)



「そ、そうなんですか? では、例えばですね、心神喪失でなくとも、その瞬間に人格が変わる−−多重人格症だとかそう云う病があるのではなかったですか? そのですね、何らかの契機きっかけ、があって、それで殺人狂のような人格が突如として立ち現れたとしたら−−」


それも違いますと京極堂一蹴いっしゅうする。


解離性同一性障碍かいりせいどういつせいしょうがいで罪を犯すと云うのは、実際かなり特殊なケエスでしょうね。この場合はあり得ません。それに、短絡的にそう考えるのは、そうした病に苦しむ人人に対する偏見ですよ」



(714〜715ページ)


ちなみに「広辞苑」によると「障碍」は「障害」と同じ意味の言葉なので、
まあ京極夏彦さん好みの漢字表記なんでしょう。
でも、「解離性同一性障碍」って割と新しい診断名のような
気が私はしました。
ちなみに『陰摩羅鬼の瑕』の舞台は1953年です。
で、次のサイトを見てみると、




赤城高原ホスピタルさんのサイトより
http://www2.wind.ne.jp/Akagi-kohgen-HP/DID.htm#TOP

[ 多重人格・解離性同一性障害とは ]


  日本の一般の精神科医にとって多重人格(Multiple Personality Disorder; 略称 MPD)という診断名を聞くようになったのは、DSM-III(1980、アメリカの精神障害診断統計マニュアル)でこの疾患が取り上げられてからです。この診断名はDSM-IV(1994)では、解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder; 略称 DID)と名称変更されました。この変更は、多重人格の「分身」のそれぞれが「人格」としての統合性を持っているとはいえず、中には人格の断片に近い状態もあるという観察と認識によります。一方、ICD-10(国際疾病分類、精神および行動の障害、1992)では、多重人格障害((Multiple Personality Disorder)が使われています。このように、多重人格障害解離性同一性障害は同義語です。

という説明が有りました。
医学的な代表的マニュアルの一つでは、この症例では
「人格」として統合されていない断片的な「分身」も存在する事から、
「多重人格」から「解離性同一性障害」へと、
1994年に診断名が変更されいるようです。
それでももう片方の方のマニュアルではまだ「多重人格」のままのようです。



これを見ると、『陰摩羅鬼の瑕』の物語の時代である1953年に
「解離性同一性障碍」の診断名はすでにあったんだろうか?
と私はやや、いぶかしく感じました。



もし1953年の時点ではまだ「Multiple Personality Disorder」
すなわち「多重人格」の方しか使われていなかったのだったら、
現代の知識を50年以上昔が舞台の小説の中に持ち込んでしまうという
ミスでしょう。



ただ、作者の京極夏彦さんに対して好意的に見れば、
わざと「解離性同一性障碍」の診断名を出したのかな、
という可能性も私は考えました。



作中で「多重人格」という診断名しか出てこないで
登場人物がやり取りしてたら、多くの読者は
「ふーん、多重人格ですかそうですか」ぐらいで
読み飛ばしてしまう気が私はします。
あらかじめ精神医学の知識も持っていたり、
一々「この時代でいうところの『多重人格』は、
今では『解離性同一性障害』とも言うようだ」なんて
調べる人って少ない気が私はします。
そんな仮定は、もちろん京極夏彦ファンの多くの方々には
大変失礼な仮定ですけども……。



で、私が思ったのは、どうせ一々調べる人は少ないだろうから、
時代考証も構わず、啓蒙的な意図により、
あえて京極夏彦さんは「解離性同一性障碍」という診断名を
登場人物に言わせたのではないか、という可能性です。
知ってる人とか、調べた人には
「この時代にこの診断名がすでに現れてるのはおかしい」と
思われるかもしれないけど、そんな批判よりも、
現在では医学の研究の深化によりこっちの診断名も使われているんだ
という事を多くの人に広めるためにあえてこう書いたのではないか……?



でも、最後のページの参考文献コーナーとか注意書きには
上記のような断り書きは一言も無かったので、
私もだいぶ好意的に見すぎかもしれません。
まあ「実際にはこう書かれているけど、作者の意図は実はこうだ」とか
下衆の勘ぐりはもう止めましょう。



それに1953年の時点ですでに「解離性同一性障害」という診断名が
使われていたんだったら、私がここに書いた事はまったくの
勘違いなのですが……。



ところでこの『陰摩羅鬼の瑕』の時代設定は1953年の夏の終りですが、
1953年といえば民俗学者であり、国文学者であり、
歌人釈迢空しゃく ちょうくうでもある折口信夫おりくち しのぶさんが
この年の9月3日に亡くなっています。



次回作当り、テーマとして扱われるんじゃないかなーと
私は勝手に期待してます。
私は折口信夫さんの考えが全て正しいとは思っていませんが、
人としてはとても興味のある人です。
今作では柳田國男さんの名前や説も出てきたし。(687ページ)



でも、京極堂シリーズのメイン登場人物の「榎木津礼二郎」さんは、
華族ではあるけどぶっ飛んでるし、探偵業を楽しんでるようだし、
貴種流離譚」に当てはめるのは無理があるな……。